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2021年「大学入学共通テスト」への当社コメント(国語)

令和3年度(2021年実施)試験(国語)について

 

【総評】

 今回初めての大学入学共通テストであったが、国語については、実施前から、実用的な文章からの出題や記述問題、複数のテクストからなる問題等、様々な点で注目を浴びてきた。しかしながら、ふたを開けてみれば、従来のセンター試験の線に沿った出題形式がほとんどを占めており、これまでとの装いの違いという点では、複数のテクストの読み取りが随所で求められている点以外、大きな変化は見られない。

 以下、各大問に対する講評を述べるが、その際に心がけたのは、クリティカルな視点から議論を展開するということである。センター試験のような大規模テストでは、これまでもユニークな出題や(テストの結果としての)平均点などがマスコミなどで取り上げられてきた。その一方で、そもそもそのような大規模テストで出題されている問題が適切なのかどうか、どのような能力を測ることに役立っているのかという妥当性の検証はそれほど多くない。しかしながら、問題それ自体の適否を問うことなく、結果のみを問うことは、けっして生産的な振る舞いとは言えまい。以下の講評に対して、なかには揚げ足取りではないかとの批判が寄せられるかもしれないが、各設問の問題点について検証を加えることで、より良いテスト問題の作成に寄与したいと考える立場からの見解であることをおことわりしておく。

 

【第1問】

 問1~4までの設問には、従来のセンター試験から特に変化が見られなかった。とはいえ、これまでもこれからも国語の試験問題に必要であろう基礎的な読解力(と漢字の知識)を問うことは、センター試験の設問でも十分に達成できていたのであり、そもそも入試改革は「変えること」自体が目的ではないのであるから、これは別段悪いことではない。素早く正確な本文の読解と、その要約や言い換えからなる選択肢の中から正しいものを選ぶ力を必要とするこれまでのセンター試験では、たとえば本文の抜き書きで得点できてしまうような半端な記述式の試験などよりは、よほど高度な「思考力」や「判断力」が求められてきたのである。

 問題は問5にある。問5は、本文について生徒が作成したノートの空欄を埋めるという新形式の設問であった。枝問(ⅰ)で問われている力は、本文における行論の構成を把握する力であるが、これは従来のセンター試験でも段落番号を用いた設問で毎年のように問われてきた力である。同じ力を測るなら、従来の形式で事足りるため、今回「ノート」形式に変更したことに特に大きな意義を見出すことはできない。また、枝問(ⅱ)で問われている力は、本文の正確な読解力であり、問2~4で問われている力と何ら変わりはない。その証拠に、たとえば本文第15段落の1~2行目「近代になると、こうした近世の妖怪観はふたたび編成しなおされることになる」という箇所に傍線を引いてみてほしい。そして、「(傍線部は)どういうことか」と問う設問――選択肢は、【ノート2】に書かれている内容をそれぞれ部分的に修正したもの――を考えてみてほしい。すると、この設問は枝問(ⅱ)とまったく同じ趣旨の、同じ能力を問う設問となることがわかるはずである(むしろ、もともとそのような傍線部の説明問題だったものを、ことさら「ノート」形式に変更したのではないかと、普段から試験問題の作成に関わっている者としては邪推してしまうのだが、職業病だろうか?)。さらに、枝問(ⅲ)では芥川龍之介の小説「歯車」が引用されており、一見すると複数のテクストの横断的な読解が求められているように見えるが、実はこの設問は、【ノート3】単独の読解だけで解けてしまう。したがってこの枝問(ⅲ)も、対象となる文章が「本文」から「ノート」になっただけで、問われている力は問2~4や枝問(ⅱ)と同じ、文章の正確な読解力である。

 とはいえ、試験の題材に「生徒のノート」といった新素材を用いたこと自体が問題なのではない。実際、第2回試行調査の第2問(著作権に関するもの)では、文章のほかに表やポスター、法律文が出され、それらを横断的に読み解かなければ解けない設問が出題されていたが、そうした設問にはこれまでのセンター試験では測れない能力を測ろうとしている意図が確かに感じられた。しかし、今回の共通テスト第1問からはそうした意図が感じられず、いたずらに試験の外見を粉飾しただけになっているように見えることが問題なのである。たとえば、「その人は誰ですか? どんな人ですか?」という問いで訊かれていることは、その人の名前であり、所属であり、人柄である。その人にどんな服を着せたところで、「中の人」が変わることはないのである。

 「オッカムの剃刀」という言葉がある。広辞苑には、「『必要なしに多くのものを定立してはならない』という原則」と説明されている。私見だが、試験問題には次の原則を当てはめたい。「ある能力を測るのに、必要なしに多くの細工を施してはならない」。図表や実用的な文章、複数のテクスト、会話文、そして生徒のノートといったものを試験の題材に用いること自体は結構である。だが、それらを用いることによって、これまで測ることができなかった、これからを生きる子どもたちに育んでほしい能力が測れるようになるということが前提条件である。三つ揃えのスーツを着せるのか、Tシャツとジーンズを着せるのか、というファッション選びを越えたところで切磋され、琢磨された試験問題を、来年以降、期待したい。

 

【第2問】

 小説の問題では「登場人物の心情理解あるいは心情の動き・流れ」、「登場人物の行動の説明」、「場面や状況の理解」、「文章表現の特徴」といった設問がよく出題される。もちろん、漢字問題や語句の意味など、「基礎的な国語の知識」を問うものも出題されるが、メインとなるのは「登場人物の心情理解」や「場面や状況の理解」を問うものであろう。実際、過去のセンター試験でもこれらを問うものが出題されていた。

 今回行われた「大学入学共通テスト」でも、問1~問5までは、過去のセンター試験と同様に、「基礎的な知識問題(語句の意味)」、「登場人物の心情理解」、「登場人物の行動の説明」が出題されている。難易度的にも、それほど高くはなく、至って標準レベルの問題だったと言えよう。

 ここまで見ると、過去のセンター試験を踏襲したのか、と思いきや、問6は過去のセンター試験とは異なるタイプの問題が出題された。問6には【資料】が提示されているが、これは「試行調査」で見られた「複数のテクストから読み取る力を問う」ことを意識して採り入れられたものであろう。

 その【資料】とは、本文の「羽織と時計」が発表された当時(1918年)、新聞紙上に掲載された、「羽織と時計」に寄せられた批評文の一部である。思わず「どうやってこの批評を見つけてきたのか?」と感心してしまったが、現代に生きる私たちの目から見ると、評者の宮島新三郎の文章自体、当時の文学思潮に染まった古色蒼然とした書きぶりであり、評者の意図するところは容易にはつかみがたいものとなっている。

では、設問を具体的にみていこう。問6は(ⅰ)と(ⅱ)の二つの枝問に分かれている。

 (ⅰ)は【資料】を読んで、「評者の意見の説明として最も適当なもの」を選ぶ問題になっている。もちろん、この【資料】は小説「羽織と時計」を前提に書かれたものであるから、本文の読解と関連させながら問題を解くことが求められているのであろうが、実際は、【資料】だけを読めば、解答を導くことができてしまうのが、気がかりと言えば気がかりな点である。

 (ⅱ)のほうは、「【資料】の評者とは違う意見を選びなさい」という問題であるが、【資料】の評者は「ある一つの興味ある(ねら)いを、否一つのおちを物語ってでもやろうとしたのか分らない程……」と「羽織と時計」を批判している。となれば、「羽織と時計」を肯定的に評価している選択肢を選べば良いということになるが、それだけでは、正解の選択肢を導くことはできない。そこで、本文43行目と53行目の「羽織と時計――」の後を読み解くと、「私」が「W君」に対して「重苦しい感情」や「恩恵的債務」に対する「自意識」を抱いていたのがわかる。ここでようやく正解を選ぶことができる。

 だが、そうであれば、(ⅱ)は本文中における「羽織と時計」という表現が意味するところの読み取りを問うているのと同じということになる。それならば、あえて【資料】の批評文を使わなくても、本文中の「羽織と時計」の意味するところを問えば、十分、小説の読解力をはかることができるのではないだろうか(せっかく当時の【資料】を探してきても、活かしきれなかったという感が残ってしまうが)。第1問の講評でも述べたように、複数のテクストを用いること自体結構なことである。だが、それにより、かえって問いが複雑になり、受験生の学力を十分に測ることができないということであれば、本末転倒であろう。受験生の読解力を測る問題として適切かどうか、今後とも注視していきたい。

 最後に、個人的な意見ではあるが、過去のセンター試験でしばしば出題されていた「登場人物の心の動き」が出題されなかったことは残念に感じる。「登場人物の心の動き」を読み取るためには、本文全体を読み取る力が必要となる。また、小説において「登場人物の心の動き」を読み取ることは、小説を読むことの醍醐味でもある。小説を出題する大学は年々減少しているが、センター試験では毎年出題され、読解力を測る良質の問題として評価されてきた。今後も大いに期待したい。


【第3問】

 古文の試験は、現代文と同様に(当たり前だが)、教科書にない、受験生にとっては初見だと考えられる本文を読み、解答していく。解答するには本文の理解が不可欠であるが、そのためには、おおよそ次の四つの力が必要であると考える。

 

 1 語彙力

 2 文法の理解

 3 本文の文脈・文意を読む力

 4 文意を解釈するための古文の背景知識

 

 本文の理解のためにはこういった力が必要であり、本来はそれを測るための試験問題ではないか。そうであれば、センター試験であっても、共通テストであっても、そのほかの試験であっても、見た目の違いはあったとしても、「古文」の試験で問われる要素に大きな違いはない、と言える。2021年度の共通テストでも、各設問に出題されている内容は、先に挙げた4要素のどれか、または組み合わせで解くようになっており、センター試験から見た目、内容に大きな変化はなかった。

 しかしながら、小問の内容には変化がみられた。これまでの試験と比べ、より深い本文の読解(理解)が必要なのではないか、という点である。

 たとえば、問2は長家が傍線部Aの対応をとった理由を問う問題であるが、解答には1.どのような間柄の人からの手紙なのか 2.長家はどのような状況・心情にあるのか の2点が必要だった。どのような間柄なのかについては、傍線部直前に「よろしきほどは」とあり、形容詞「よろし」の語句の意味と本文の文脈から、選択肢①「並一通りの関わりしかない人」、選択肢②「妻と仲のよかった女房たち」選択肢③「心のこもったおくやみの手紙」、選択肢④「見舞客」、選択肢⑤「大切な相手からのおくやみの手紙」の中から判断をする必要がある。これに加え、「『今みづから』とばかり書かせたまふ」という傍線部の訳出と、妻を亡くしたばかりの長家の心情(人物)の理解とが必要であり、解答を導くためには、より深い本文理解が求められた。

 個人的な感想になるが、古文を読む楽しみとは、この深い読みにあると考える。文法に則って単語の意味をとり、人物の相関や場面の状況や時代背景等、細部にまで気を配って本文を理解する、という点はまさに古文の読みの醍醐味であり、必要な力である。そういった観点からすると、本問は良問だったと言えるのではないか。

 その他の特徴的な問題としては、問5が挙げられる。問5では和歌の修辞が問われたが、これは2018年の試行調査の、本文全体の構造(似ているAとBを比べて考察する)と、同じく2019年の試行調査の問5(和歌の読まれた背景の理解と和歌の解釈について問う)の2問を合体したような小問である。問題の出題形式としては、試行調査やセンター試験にはない新しいものだった。しかし、各選択肢の内容は本文と問5の【文章】に示された三種の和歌の解釈についてであり、問われている内容、力は従来のセンター試験と同様であり、目新しい出題内容ではなかった。

 これは、本文と【文章】という複数のテクストの横断的な読解が求められる問題と言えるが、実際のところ、求められているのは三種の和歌のそれぞれが意味するところを読み取る解釈力であり、この形式にする必要性はあまり感じられない。もちろん、和歌の解釈は重要であるが、複数のテクストを用いてということであるならば、たとえば、古文ではある話の類話がほかの作品でも取り上げられることがしばしばある。今昔物語集と、宇治拾遺物語や十訓抄などの説話集に類話が見られるが、これらを比べて、そこに生じる異同について、より深い理解を受験生に問うてもよかったのではないか。

 

【第4問】

 第4問の漢文は比較的くみしやすい問題だったのではないかと思われる。本文は、いずれも馬車を操縦する「御術」について書かれた二つのテクスト(【問題文Ⅰ】欧陽脩『欧陽文忠公集』・【問題文Ⅱ】『韓非子』)であるが、本文の分量および設問形式など、従来のセンター試験を踏襲しており、また、複数のテクストの出題も、試行調査から十分に予想されたところであるから、受験生も戸惑うことなく問題に取り組むことができたと考えられる。「馬車を走らせる御者」のイラストも、本文内容をより理解しやすくすることに寄与している。

 それでは設問についてみていくことにする。問1で語の意味、問2で語句の解釈が問われているが、たとえば、問1(ア)「徒」(イ)「固」はそれぞれ「徒(いたずら)に」「固(もと)より」という読み方を知っていれば比較的容易に正解を導き出すことができる。また、問4の返り点の付け方と書き下し文との組み合わせ問題や問5の解釈問題も、漢文の「知識力・解釈力」を求める、従来のセンター試験でも出題されていたオーソドックスな出題形式であるといえよう。

 そういった点からすれば、今回、第4問で注目に値する設問は問3と問6である。これらは、二つのテクストの読解を踏まえた設問であるとみなせるからである。

 問3は、【問題文Ⅰ】の漢詩の空欄にあてはまる適切な語を【問題文Ⅱ】から選ばせる問題である。一見したところ難解な問題のように思われるが、設問を解く上でのヒントが設問文中に示されている。設問文には、空欄を含んだ傍線部は「『御術』の要点」を述べたものだとの説明があり、それを踏まえつつ、【問題文Ⅱ】から「『御術』の要点」を探すことができれば、問題は解ける作りになっている。漢詩における押韻の知識を有する受験生であれば、正解はより絞りやすかったであろう。

 そして、問6は、「【問題文Ⅰ】と【問題文Ⅱ】を踏まえた『御術』と御者の説明」として適当なものを選ぶ問題になっている。複数のテクストを念頭に置いて解答することが求められているという点で、こちらも難しく感じられるが、受験生の中には、選択肢を吟味していくうちに、本問は【問題文Ⅱ】の内容さえ理解できれば解答可能な作りになっていることに気づいた者もいたであろう。

 複数のテクストからの出題というのは、共通テストの大きな特徴である。問3においては、その出題形式がうまく活かされていたといえようが、問6のように、片方の文章だけで処理できる問題も含まれているという点では、今後への課題を残したと考えられる。複数のテクストを使用した設問の問題点については、第1問~第3問の講評でも述べた通りである。最初から複数のテクストを使うことを当然視するのではなく、そもそも今回のような出題形式が国語の力を測るという目的にとって望ましいのかという点も含めての検証が求められるであろう。