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虫歯

 やらなければいけないとわかっていても、つい先延ばしにしてしまう。そして、締切直前になって慌てる。こういうことがないように、しっかりと先のことを考えて行動するのが、仕事では大事だ。行き当たりばったりで仕事をしていると、いつか大変な目に遭う。これは日常生活でも同じ。

 もっとも、わかっていても、なかなか実行できないのが現実だ。そのせいで、大変な目に遭った体験をお話ししよう。

 ことの発端は、一昨年の8月上旬のある夜。仕事を終えて駅に向かっていると、突然、右下顎の歯に強い痛みを感じた。歯の奥に鈍く重い痛みがある。まさか虫歯か?しかし、虫歯ではなく、何か別の痛みかもしれない。一日寝れば、痛みが取れるかも……と自分を納得させて、その日はそのまま寝ることにした。

 翌日の土曜日の朝になっても痛みは残っている。なんとか我慢できる程度の痛みではあるが、食べ物を噛むとき、上から圧力がかかると、かなり痛い。でも、なるべく刺激を与えなければ、痛みは徐々に小さくなるはず……そう思って、痛くない側の歯を使ってお昼ご飯を食べた。その後は、外出して買い物に出かけ、家に戻って寝ていた。

夕方にまどろんでいたとき、うっかり上の歯で痛みのある歯を刺激してしまった。その瞬間、眠気が一瞬で吹き飛んだ。それくらいの激痛だった。

 明らかに、このまま放置できる痛みではない。歯の痛みがあまりに強くて、他に何も考えられないくらいだ。今すぐに歯科医院に行き、治療が必要だ。

 だが、近所のどこに歯科医院があるのか、わからない。そこで、スマホで検索した。幸いに、歩いて行ける距離に6、7件の歯科医院が存在する。そのうちの一件を画面上でクリックしてみた。すると、土曜日も開いている。が、スマホの画面には「もうすぐ営業が終了します」の文字が!そう、今は1750分で、病院を開いているは18時までなのだ。別の歯科医院をクリックすると、そこも18時まで。4件続いて同じ結果だ。この市の歯科医院は揃いも揃って18時で仕事終了なのか。

 あきらめかけたとき、家から歩いて5分くらいの距離にある歯科医院で、土曜日も1930分まで開いているところがあることがわかった。あらためてスマホの便利さを実感した。

 すぐに家を出て、スマホの地図を見ながらその歯科医院に向かった。5分もかからずに病院に着いた。これで激痛から解放される……と思いきや、入り口の扉には張り紙があり、「15日まで休みです」と書かれている!なんてことだ。今頃気づいたが、今はお盆の時期だった。それにしてもお盆だって病気になる人はいるはずだ。なんでお盆だからといって病院を閉めるのだ!

 文句を言っても仕方がない。その場でスマホを取り出し、再び歯科医院を検索すると、少し離れた場所にもう1件、1930分まで開いている歯科医院があるとわかった。今度は慎重を期して、直接そこに向かう前に確認の電話をしてみた。すると、「お電話ありがとうございます。○○歯科です。15日まで休みとなっています。16日以降にお電話ください。」という留守番録音のテープが流れた。茫然自失となった。目の前が真っ暗になるとはまさにこのことだ。

 しかし、ここであきらめるわけにはいかない。スマホの検索地域を広げると、ここからは10分以上かかるが、1930分まで開いている歯科医院が駅前にあることを突き止めた。その場で電話すると、「はい、○○歯科です」と返ってきた。今度は留守録のテープではなく、生身の女性の声だ。希望の光が見えてきた。

 急に歯が痛み出したので、予約していないが、今から直接そちらに行き、治療してもらえないかと言うと、予想外なことに「……少々お待ちください」と戸惑い気味の答えが返ってきた。まさか、予約がないと治療を受けられないシステムなのか?不安を抱きつつしばらく待つと「本日は患者さんが大変多くて、お越しいただいても長時間お待ちいただくことになります。よろしければ、月曜日にお越しいただけないでしょうか?」との答え。

 いつもの(気の弱い)私なら、こう言われたら素直に諦めるが、この歯の激痛はとても月曜日まで我慢できるものではない。「いくらでも待ちますので、何とか今日診てもらえませんか?」と電話越しに訴えると、再び「少々お待ちください」との答え。耳を澄ますと、どうやら、小声でなにやら相談している。変な電話にどう対応しようか、とでも言っているのだろうか。祈る気持ちで待っていると「では、お待ちいただいてもかまわないのでしたら、お越しください」という返事をもらうことができた。きっと私の切羽詰まった様子が電話越しにも伝わったのだろう。

 その後の治療の様子はここでは省略する。とにかく、その日はなんとか痛みを和らげるための応急処置をしてもらい、痛み止めの薬ももらったので、一時の危機的状況から脱することができた。

 何とかなるだろうという甘い見通しに立って、問題を先延ばしにすると、後で自分が痛い目に遭うということを実感した一日であった。