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英語でコミュニケーションをとる上で大事だと思うこと

 一年ほど前のことになりますが、年末年始のお休みを利用してイタリアとマルタを訪れました。イタリアではローマに、マルタでは首都ヴァレッタにそれぞれ滞在し、ローマ滞在中には電車で一時間ほどの距離にあるオルヴィエート(Orvieto)と、そこからさらに車で40分ほどにあるチヴィタ(Civita di Bagnoregio)を日帰りで旅行することにしました。

 オルヴィエートとチヴィタはその起源は古く、古代ローマ人以前から繁栄したエトルリア人によってつくられた町です。エトルリア人は丘陵の上に好んで都市を建設したため、現在でもエトルリア起源の町は丘の上に多く存在します。今では、オルヴィエートは『世界一美しい丘上都市』と呼ばれ、一方で、チヴィタは度重なる岸壁の崩落や雨風による浸食によりあたかも『天空の城ラピュタ』のような景観となり、『死にゆく町』とも呼ばれています。現在置かれている状況は対照的ではありますが、どちらの町もとても印象的でした。


オルヴィエートの街並みと岸壁

 


チヴィタ・ディ・バーニョレージョ

 


 当日は、事前に手配した現地ガイドのAlessiaさんとオルヴィエート駅で待ち合わせ、途中でおいしい昼食をはさみながら二つの町を案内してもらいました。Alessiaさんは生まれも育ちもオルヴィエートで、もちろん日本語は話せません。私のイタリア語は大したことはないので、コミュニケーションは不可避的に英語で行うことになります。ですが、世界史、特に古代の地中海周辺地域の歴史が大好きな私にとって、Alessiaさんの説明はとても興味深く、英語で会話しているのを忘れるほどでした。ひょっとしたら、今まで彼女がガイドしてきた日本人の中でも一番食いつきが良かったかもしれません。また、昼食時や移動時には、お互いの家族のことや、イタリア人のクリスマスの過ごし方、妻の興味がある旬の食べ物とおすすめの料理、サッカーでは彼女の旦那さんはユベントスのファンで私はASローマのファンだ…などなど、多岐にわたって会話を楽しみました。

 ガイド終了後にいったんAlessiaさんと別れてオルヴィエートのリストランテで妻と夕食をとり、それから駅まで彼女に送ってもらって電車でローマに戻りましたが、ホテルに着いたときは夜の12時近くになっていました。夜のオルヴィエートは想像以上に冷え込んだこともあり、疲労感はかなりのものでしたが、それでも素晴らしい旅の思い出ができました。

 今回の旅行で私が感じたことは、英語でコミュニケーションをとるには、流暢さや発音のきれいさといったスピーキングのスキル、言わば「手段」よりも、むしろ何を伝えたいのかという「目的」を持つことがずっと大事ではないか、ということです。その観点からすると、先般、大学共通テストでの民間の英語4技能試験の導入は見送りとなりましたが、単に大学入試にスピーキングテストを導入すれば日本人の英語力が向上するかと言えば、なかなか難しいように思います。極論かもしれませんが、どんなに日本人全体のスピーキングスキルが向上し、みんなが英語を流暢に話すことができるようになったとしても、そこに語るべき内容がなければ、挨拶や道案内ぐらいしか役に立つ場面はないのではないでしょうか。それぐらいだったら別に発音がきれいでなくても、流暢に話せなくても、今のままで問題ないと言えてしまいそうです。Alessiaさんも、妻も、私も、お互いに母国語ではない英語での会話でしたが、上記のようにとても楽しく過ごすことができました。それは、スピーキングのスキル云々ではなく、純粋に伝えたいこと・知りたいことがあったからこそだと思うのです。

 さらに、日本では世界史などの社会科目は受験のための単なる暗記科目のように扱われがちですが、海外の人々とコミュニケーションをはかる上では彼らの社会や文化を知っておくことが大切であり、歴史や地理などを学ぶ意義はそこにあると私は思います。もちろん、そんなことを知らなくても海外旅行はできるし、困らないと主張する方もいるかもしれません。しかし、「知らないと見えないけれども、知ることで見えるもの」があると思うし、それが一つの経験をさらに有意義なものにしてくれると思うのです。受験のためだけ、というのは実にもったいないことだと思います。

(KW)