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44.あやふやさ

 東京近郊にあるこの小さな駅は、1,000メートル前後の手ごろな山々に上る登山口になっています。駅の改札を出て近くの山を眺めると、オレンジ色の大きな木が目にとまります。自身の葉が緑色のときは周囲の木々に紛れてしまいますが、木全体がオレンジ色に色づくと、遠くからでも大変よく目立ちます。

写真の左下のオレンジ色の木にご注目ください


 この木は街中でも見かけるメタセコイアだと思います。数年前、ふっと思い立って、色づいた様子を写真に撮ろうと、山の帰りに寄り道することにしました。道は分かりませんが、目指す木に向かって適当に道を選んでいけばたどり着けるはずです。木に近づくにつれて、だんだん見上げるようになり、その大きさは迫力があって見事です。

見上げるほどの大きな木


 おそらく、この道を入れば良いのだろう、と見当をつけて歩いていると、道が左にカーブするあたりに、大きな木が立っていました。そして、何と、それは1本の木ではなく、行儀よく並んだ3本の木だったのです。1本だと思っていた木が、実は、3本だった。ただそれだけの事なのですが、私は驚くとともに、小さな二つの発見をしたことを喜びました。

行儀よく並ぶ3本の木


 この駅を利用して山を歩く人たちの中にも、この大きなメタセコイアを知っている人は少なくないでしょう。でも、道から少し離れたところに立っているので、実は3本の木が並んでいることを知っている人は決して多くはないでしょう。しかし、私は、この事実を知ったのです。些細なことではありますが、ひょっとすると地元の人しか知らない秘密を知ったわけです。これは嬉しいですね。
 もう一つは、ヒトは(少なくとも、私は)、目に見えている事柄から勝手な思い込みをし、そのことを微塵も疑わないことがある。この事実を再認識したことです。今回の例は、目の錯覚や、早とちりの見間違いではありません。木のすぐそばまで近寄ると、確かに3本の木が立っているのですが、少し離れて見ると、見えている木の様子から、これは1本の木だ、と少しの疑いもなく判断してしまうのです。
 改めて1枚目や2枚目の写真を見てください。オレンジ色の豊かな葉の茂りが写っており、その様子から1本の木が立っているように見えます。この時点で、離れて見ると1本の木に見えるけれども、本当のところは近寄って確かめないと分からない、と考え直す。そんなことは、まずないでしょう。趣味の山歩きですから、そんな疑いを持ちながら歩いても楽しくないし、それで問題はありません。
 しかし、テスト分析の場合は、そうはいきません。テストの目的は受験者の学力をできるだけ正確に把握することですから、テストの分析結果を判断する際には慎重な態度が求められます。例えば、得られた分析結果から、AかBか判断するとしましょう。分析結果の全てがAを支持し、Bを支持するものはないとしたら、おそらくAであると判断するでしょう。今回の調査では、それで問題はありません。しかし、たまたまBを支持するデータが手に入らなかったのであり、再調査をすると結果は変わるかもしれないという「疑い」(あるいは、「慎重さ」)が必要です。なぜなら、テストが測ることができるのは受験者の学力の一部分なので、どんなテストも万全ではありません。テストの結果から「あやふやさ」を排除することはできないのです。だからこそ、テスト分析に関わる者には、思い込みにとらわれず、自分の判断を疑う姿勢が求められるのです。

(社長)