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43.思い出のモミジ

 今年は強烈な台風が来て多くの葉が散ってしまったり、平年よりも暖かい日が続いたり、モミジが色づく条件は良くなかったようですね。ちなみに、広辞苑第六版によると、モミジとは、「秋に、木の葉が赤や黄色に色づくこと。また、その葉。」とあります。つまり、イチョウの黄葉やカエデの紅葉が、モミジの代表ということになります。もしも、「これまでに山で見た一番のモミジ」を答えなさい、と問われれば、次の三つが私にとっての「三大モミジ」です、と答えるでしょう。
 一番は、谷川岳の巌剛新道から眺めた紅葉の山。谷を隔てた向かいの山に西日が当たり、全山紅葉の大きな山が赤銅色に輝いています。おしゃべりしながら歩いてきましたが、この眺めに足が止まり、口が止まり、まばたきも忘れてしまいました。早く下りないと、日が暮れたら大変なのに…。
 二番は、雲取山から下った大ダワ林道(林道といっても山道です)。黄葉の林の中、歩いても、歩いても、右も左も、上も下も黄色の世界が続き、かすかな風に促されるように、ハラハラ、ハラハラ、と色づいた葉が絶え間なく静かに落ちてきます。有り余る自然の豊かさに、とても贅沢なもてなしを受けている気分になりました。
 三番は、東京近郊の山寺で見たモミジ。寺の境内には樹齢何百年の大イチョウとカエデの古木が立っています。大イチョウの黄葉を見ようと寺を訪れると、広い境内が直線で区切られ、黄と紅に色分けされていました。イチョウとカエデが協力して描きあげた美しく精巧な幾何学模様ですが、人工物を見ているようでした。
 上の「三大モミジ」は、記憶を探ると、即刻、光景が頭に浮かびます。そのくらい印象深い思い出ですが、だからといって、それ以外のモミジが物足りないというわけではありません。でも、世の中には、過去の経験を絶対化する方も、いらっしゃるようです。ある時、奥多摩でモミジを楽しみながら歩いていたときのこと。すれ違った男性が、「奥多摩もきれいだけど、やっぱり、涸沢だね。あれを見ちゃうとね…。」と話しかけてきました。何のことか、と問い返すと、「自分は涸沢の紅葉が一番だと思う。別の場所で紅葉を見ても、どうしても涸沢を思い出して比べてしまう。だから、奥多摩もきれいだけど、涸沢に比べると今ひとつかな、と少しがっかりするんだよ。」とのこと。
 モミジにしろ、何にしろ、現実に見ている光景と、記憶に残る光景を比べて、記憶のほうに軍配が上がるようでは、目の前の光景に感動する気持ちも沸いてこないかもしれません。条件が悪く見劣りするかもしれないけど、過去のことは振り返らず、目の前の光景に全力で向き合い、そこに美しさを見出してこそ、感動が沸き起こるというものでしょう。
 先ほどの男性の場合、自分が見た涸沢の紅葉が一番であることを確かめるために、あちこちモミジ見物に出かけておられるのでしょうか。もちろん、どうであれ、その方の自由ですが、私にとって「三大モミジ」は大切な思い出ですが、今、ここで見ている現実のモミジと比べ優劣を決めるというのは、少々違和感を覚えます。
 毎年受注している仕事について、「今年も無事に終ったけど、○年前の出来栄えに比べれば、今年は大したことないね…」、と過去の記憶を持ち出して現状を批判する人がいます(どこか、自慢しているようにも聞こえることもあります)。同じ仕事でも、その時々の条件によって、出来栄えが多少は前後することはありますが、常に全力で取組み、成功したといえる仕事の質を確保するように全力で取組むことが大事ですね。過去の成功にこだわりすぎてはいけませんね。

 以下、今年の秋に撮った写真を見てください。


岩場のモミジ 

 

 

 かすかな風に揺れるススキと富士山

 

 

少し鮮やか過ぎる紅葉

 

(社長)