37.give and take
梅雨入り後のどんよりと曇った日、近くの山を歩いてみました。すると、数人の男性が同じ斜面にカメラを向けて、身じろぎもせずシャッタをきっています。何だろう、と思い、邪魔にならないように少しはなれたところから見てみましたが、花はどこにも見当たりません。一人の男性がカメラを下ろしたので、「何があるんですか」、と聞くと、「ムヨウランですよ。ほら、そこに。」お礼を言って、少し近寄って目を凝らすと、藪の中から花が浮かび上がってきました。目が慣れてくると、あちらにも、こちらにも、ムヨウランの花が見えてきます。その中から、誰もカメラを向けていない株を選び、撮った写真が次です。
枯れたようなムヨウラン
いかがでしょうか、枯れているようですよね。茎は細くて薄茶色。花もカラカラに渇いたドライフラワのよう。そのせいか、数株がまとまって咲いていても、周囲の色に同化して目立ちません。ムヨウランは無葉蘭と書くそうです。名前の通り、葉はなく、一切光合成をせず、宿主の栄養分だけで生きています(完全寄生植物と呼ぶそうです)。
完全寄生植物であっても、もともとは光合成をしていたそうです。それなのに、なぜか進化の過程でやめてしまったらしいです。光合成は植物が生きていく上での重要な機能の一つでしょうから、それをやめてしまうには、それ相応の理由があったことでしょう。植物に意思があるとは思えませんが、光合成を捨てた経緯をあれこれと想像することは面白く、ちょっとした暇つぶしになります(真剣に研究しておられる方には甚だ失礼ですが…)。
山頂に近づくにつれ、多くの人でにぎわってきました。頂上の大混雑を避けて、途中で尾根を離れると、急に静かになりました。足元を気にしながら歩くと、タマノカンアオイを見つけました。2018年2月19日の手記「 Aを見つけたいならBを探せ」で、カントウカンアオイを紹介しましたが、こちらの方がもっと地味ですね。しゃがんで写真を撮っていると、「何か咲いてますか。」花を指さすと、「あー、これこれ。ずっと探してるのに見つからなくて。よく見つけましたね。」「花じゃなくて、葉っぱを探したほうが良いですよ。」立ち上がって場所を譲ると、早速カメラを向け、数枚撮り終わると、お礼を言って頂上目指して去っていきました。
葉っぱで探すタマノカンアオイ
先ほど、見知らぬ人に、ムヨウランを教えてもらいました(=take)。その代わりに、というわけではありませんが、初めて会う人に、タマノカンアオイを教えました(=give)。若い頃、山で出会ったヒトに、「取って置きの場所は教えないよ」、と言われたことがあります。その人は花の写真家なので、そうかもしれません。しかし、その後、花の名前に限らず、花の咲く場所や季節を、見ず知らずの人から教えてもらいました。私に分かることであれば、次は、私が教える番です。山の水が高い所から低い所へ流れるように、知る者が知らざる者に教えることは、自然なことだといえます。ヒトは、元来、他者に教えることが好きなのだと思います。
地味な花を二つ紹介しましたので、最後に、少し華やかな花を見てください。街でも、あたり前に見ることの出来るユキノシタですが、よく見ると、結構おしゃれな装いですね。
よく見ると洒落た装いのユキノシタ
(社長)