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26.赤くなりたかった

 今年は12月になっても暖かい日が続いていましたが、不意をつく様に、突然、街に真冬がやってきました。いつまでも寒くならない冬に油断して、のんびりと色づきを進めていた街中のイチョウは、慌てて黄色の衣装に着替えさせて、葉を落とした感がありますね。
 山では、落ち葉がひざ近くまで深く積もって、歩くのに難儀することがあります(難儀しても、結構、楽しかったりもするのですが…)。しかし、街の落ち葉は、さっさと片付けられてしまいます。落ち葉、特にイチョウ、は滑ることもありますから、転んで怪我でもしたら大変です。少し寂しい気もしますが、仕方ないですね。
 先日、近くの公園に散歩に出かけ、地面を覆うイチョウの葉を蹴りながら歩いていると、赤いものが目に入りました。カエデかな、と近寄ってみると、赤と黄色の2色染めの落ち葉が一枚。虫食いもあって、決して、きれいとはいえませんが、妙に心を惹かれ、カメラを向けました。多くの人は美しい紅葉を写真に収めようと上を向いていますから、一人だけカメラを地面に向けるのは、少し気が引けました(他人の振る舞いなど気にする人はいないから、平気ですけどね)。


2色染めの落ち葉

 

 緑の葉がもみじ葉に変わる仕組みは、こんな感じだったでしょうか。もともと葉には、緑の色素と黄色の色素が含まれています。黄葉するのは、秋になり気温が下がり日差しが弱くなると、光合成をおこなう緑色の色素が分解されて、それまで目立たなかった黄色の色素が目立つようになるから。また、紅葉するのは、葉を落とす準備が始まると、枝と葉の連絡通路が遮断されてしまい、光合成でできた養分が葉にたまっていき、そこに光が当たると赤い色素ができるから。たしか、こんな感じだったと思います(詳しく知りたい方は、図鑑やネットで調べてください)。そうは言っても、すべての葉が緑色から黄色を経て赤くなるわけではありません。イチョウのように緑から黄色になって落ちてしまうものもあります。写真の落ち葉は、おそらく黄色から赤に変わる途中だったのでしょう。赤と黄色の境界が直線的なのは、直線的な物体によって、日のあたる部分と陰の部分が分けられたからでしょうか。この葉にしてみれば、真っ赤になってから、ヒラヒラと地面に落ちたかったでしょうね。
 では、なぜ、木は葉を落とすのでしょうか。それは、秋になって日差しが弱くなると、葉で消費するエネルギーの方が、光合成をしてつくる養分よりも多くなるので、木が生命を維持していくため。木という全体を維持するために、それまで全体のためにはたらいてきた葉という部分を切り捨てる。厳しい現実です。
 紅葉するように命のプログラムが組まれている葉にしてみれば、黄色と赤の2色染めで落ちてしまっては、中途半端で哀れな感じもします。しかし、地面に落ちて土にかえれば、次代の生命の肥やしになって、大きな生命の循環に入ることができます。街の落ち葉は、ほうきで集められ、ビニル袋につめられてしまうので、それよりは幸せかもしれませんね。


おまけの写真


赤とオレンジ色の2色染め

 


落ち葉のじゅうたん

 

(社長)