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23.言い間違い

 一月ほど前のことです。暑さが一段落した秋の日の午後、花盛りのハギ(萩)を見ながら歩いていると、一人の男性から、「ツツジがきれいですね」、と声をかけられました。男性の指差す「花」はハギですが、わざわざ言い間違いを正すこともないだろうと、「そうですね」、と答えました。すると、自分の誤りに気づいたのか、「アレ、ツツジだって、これはハギですよね」、と少し照れくさそうに笑います。つられて私も口元が緩み、「そうですね」、と答え、その後は他愛のない立ち話を楽しみました。
 あの男性は、「花」の美しさを私と共有したかったのでしょう。その目的を達成するうえで、「花」をツツジと呼んでも、タンポポと呼んでも全く問題はありません。なぜなら、その場の状況や話の流れなどから、その男性の意図は明白ですし、対象となる「花」がどれを指すのか、私が勘違いすることはないので、男性の誤りを修正しなくてもスムーズに会話を続けることができます。話し手が間違えても、話の文脈から、聞き手は間違いを修正し、会話を続けることができるわけです(「文脈による調整」としましょう)。ヒトは便利にできてますね。

 ハギ

 

 現実の世界では間違いはつきものです。「文脈による調整」によって即座に解決できる間違いもあれば、調整を誤ったせいで何でもない間違いが面倒な事態を招いたりすることもあります。また、そもそも与えられた条件に誤りがあり、そのせいで課題の解決策が見つからないこともあります。そんな時は、あれこれ考えて解決できそうな別の条件を見つけなくてはなりません。時には、検討している課題に、実行可能な解決策が在るのか無いのか、肝心なことが明確ではないこともあります(テストで言えば、正解があるのかないのか不明の問題ということになりますが、これは相当に難問です)。もし、解決策の無い課題だと分かったら、課題の設定が間違いだったことになります。
 一方、テストに出題する問題(以下、『問題』とします)には、少しの誤りもあってはいけません。たとえ、「文脈による調整」によって、誤りが正しくは何であるか容易に推測できるとしても絶対に許されることはありません。また、『問題』には必ず正解が存在し、そのことを、テストの実施者も受験者も、誰一人として疑う者はいません。これは、かなり特殊な状況ですね。そのため、テスト会場で『問題』を解くときに使う頭と、現実の世界で課題解決に使う頭が、少々ずれてしまうのかもしれません。現実世界での頭の使い方に少しでも近づけるために、誤りを含んだり正解がなかったりする『問題』も検討したほうが良いのかな、と思うことがあります。皆さんはいかがお考えになりますか。

(社長)

  

 

~おまけの写真:名前に秋がつく花~
1.キバナアキギリ(黄花秋桐)
 


2.セキヤノアキチョウジ(関屋の秋丁字)